信越五岳トレイルレース

信越五岳トレイルランニングレース。4時前に起床して、まだ暗い中バスでスタート会場へ。
妻は仕事で昨日のうちに来れなかったので、ゴールで合流する予定である。


おにぎり、パン、スープを食べて、少し水を飲み、5時半スタート。去年のハセツネでは集団の真ん中からスタートしたらかなり渋滞に嵌ったので、反省を生かして前の方で先頭集団でスタートする。直後のゲレンデの登りで相馬選手が飛び出すが、着いて行けないので見送る。この大会を3連覇している、驚異的な人である。


走りやすかったが、先は長いのでマイペースに進んだ。30分ほどでペースも落ち着いて、中辻選手、山屋選手らと一緒に走る。10位前後で10km以降、20km、30km、40kmとあっという間に過ぎて行き、前方には加藤選手、西城選手ら4人くらいがダンゴになって走っているのが見えた。「マイペース」、を自分にいい聞かせながら、どこか「今年最後のレース」という焦りもあったのだろう。スムーズにはゴールできなかった。


51.5kmの第一関門手前で、右足の太腿がじわじわと痛くなった。先週、ランナー間で有名な治療院に行って凝りがあると言われ、マッサージと鍼を打ってもらったところである。「おかしいなあ」と思いつつ、関門で一度ストレッチしたり、尻を叩いてほぐした。しかし関門を出た緩い登りで本格的に走れなくなり、残りの60km、一転辛いレースとなる。


今となってみれば、マッサージと鍼に行ったのが良かったのか、それが原因なのかは分からない。しかし事実として、1年前のハセツネの前にシンスプリントを発症して以来、普段マッサージに行くことも無く、しまなみ海道や高知での走り込み、日本アルプスの縦走も故障無く達成していたはずである。


端折ると、最初の50kmに5時間、次の30kmに5時間、最後の30kmに6時間弱かかった。去年の春に本格的に走り出して、初戦の野沢では骨折しギブスを付けたまま新婚旅行、ハセツネのときは年代別で入賞したもののシンスプリントを発症し、今年のトランスジャパンに至っては選考会落ち、それを引きずり野沢ではリタイヤ、我ながらアホみたいだ。と思いながら、とにかく今回は完走しよう、ということと、前半の貯金があるので、まぁどう転んでも時間が足りなくなることはない、という2つの考えから進み続けることにした。


とは言うものの、やっぱり長い。しかも遅いものだから、余計長く感じる。81kmのエイドでテーピングをお願いすると、「おっ、昨日バスで会ったXさんじゃないですか!」と、昨日長野駅で会った人がドクターとしてエイドにいたので、再会を果たした。「速いっすねー」と盛り上がる(このとき大分抜かれたとはいえ、600人以上出場して、30位くらいだった)。気持ち丁寧にマッサージとテーピングをして頂けただけ、かなり楽になった。


後はもう雑念を消して進むのみである。エイドの応援はちょっと大げさだったが、年下っぽい参加者から、「ナイスガッツっす!!!」と声をかけてもらったりしたのが嬉しかった。トップだけがレースをしている訳ではない。相馬さんも優勝争いからは落ちていたが、上位で最後まで走りきっていた。制限時間一杯を使って走りきる人も、よく最後まで頑張るなぁと思う。


こんな感じでゴールしたのはすっかり太陽も沈んだ夜9時半前、15時間54分で、58位だった。
来年出直そう。