コスタリカ・レース5日目

ここから熱帯コスタリカのレースは趣を替え、標高4000m近い山脈のトレッキングへ入る。行程は100km近く、トップチームでも丸二日かかる計算である。我々は装備を交換し、食料を補給して登りに入った。標高2000m程度で森林限界を超える日本アルプスと異なり、コスタリカは気温と湿度が高いせいか3000mを越えても見た目は普通の植物が生い茂っている。しかし空気は確実に薄く、メンバー全員は高山病に悩まされた。なかでも筋肉質のヨーキさんの症状はひどく、頭痛薬を飲んで、荷物も交代しながら進んだ。風が吹き付ける稜線は寒く、昨日まで暑さと日差しに悩まされていたのが嘘のようだった。コスタリカにも、日本アルプスの、中でも南アルプスと変わらないような景色が広がっていた。


朝早く出て、夜8時頃山脈を越えて下山を始める地点にある小屋に着いた。ここではスタッフが駐在し、選手の様子を見たりスープを振る舞っていたので私たちも休憩を取ることにする。ふと気づくと雅美さんは机に突っ伏しており、医師が毛布にくるんで容態を確認していた。血中酸素濃度を測ってみると74しかなく、明らかに高山病の症状がでていた。私自身も頭痛はあったものの、80以上を保っていた。しかし困るのは、高山病の処置は標高を下げるしか無く、眠ることで悪化する種類の症状であることだった。ここからは9kmの坂道を下るのみだったので、まずは下山道を探しに向かう。事前の情報で道は薄いということだったが、地図上の道を確認しにいくところでなぜかショートカットの案が出てきたため、薮を漕いで降りることになった。結果的にはこれが大失敗だった。高山病を抱える雅美さんと一緒に、3時間もの間、何の結論も出すことが出来ず、標高も下げることが出来ず夜中の山の中をさまようことになった。最初に決めた通り、5分を惜しまず地図上の道を確認しに行っていれば、無駄な3時間は短縮できたかもしれないが、結果論である。


夜の9時過ぎに小屋を出てから3時間後、零時を過ぎて未だに標高は3000mを越えていたが、現状がどうであれ進み続け、標高を下げるしか選択肢は無い。夜通し泥道を下り続け、明け方、標高1200mの小屋にたどり着いた。ちょうど夜が開け、ここから先は先住民の居住区となる。