高知への帰郷

先週水曜から三日間、父の実家、つまり私の祖父の住む高知県土佐清水市に行ってきました。
東京からあらゆる交通機関を使って最も時間のかかるのは、沖縄でも北海道でもなく、この高知県土佐清水市だそうです。その分手付かずの自然が残り、素朴な人たちが生活しています。


そして今回、この町に住む祖父は突然の火事で90年の生涯を閉じました。小学校へ2年通っただけで、太平洋戦争では同年代とともに中国で戦い、戦後は定年退職まで四国電力で働いていたそうです。大正時代に産まれ、先週亡くなるまでずっと同じ家に住み、4人の子供、12人の孫、そして5人のひ孫に恵まれました。祖母は7年前に他界し、足も不自由だったのですが一人で魚を釣ったり畑仕事をしたり、バイタリティ溢れる人でした。火事では祖母の遺灰も家のものも、全てが焼き尽くされ、残っていたのはアルバム数枚と土の壁程度でした。「形のあるものは全て壊れる」というのを身にしみて感じた次第です。




私自身は外国で生活した後、小学生の頃半年だけ高知県に住んでいました。印象に残っているのは、学校へ行く前に通っていた海釣りです。祖父は小型の漁船を持っており、朝暗いうちから鰹(メジカ)やシイラを釣りにトローリングに連れて行ってくれました。父とも沢ガニを捕まえ、それを餌にして磯でタイやアジを釣ったり、素潜りで貝を採って日々の糧を得ていました。平日の朝、小学校へ向かう前とかの話です。その他散弾銃を撃たせてもらったり、ハクビシンメジロを捕る罠を仕掛けたりもしていました。


私が今、東京に住みながら、自然の中でのスポーツを続けているのも高知での体験が土台にあることは常々思っていたので、祖父がこの世にいなくなるのは非常に悲しく思います。自然の中で過ごす楽しみや、厳しさ、そして一番大事な「この一線を越えるとヤバい」という感覚は恐らくここで磨かれました。祖父はいなくなっても、これからも定期的に訪れたいと思います。