パンタナル・レース5日目

川沿い最初のCPを取るも、眠くて仕方ない。セールを使ってみたりするがイマイチ。そのうち半分寝ているうちにわけの判らないところに着てしまった。田中さんだけイメージがあるようだが自信も無さそう。


ここでまた、明るくなるまでということで眠る。しかし川で流されかねないので、岸近くの水草に突っ込む。想像に違わず蚊の大群で気が狂いそうだった。足も濡れていて不快指数マックスだったが、ここまでのレースの展開で大分耐性が着いていた。1時間ほど蚊の羽音を聞きながら眠る。いい加減ヤバい、と思ったところで、「グワッ」と大型獣の吠え声が聞こえた。何かがすぐ側にいる。速攻起きだして川に出る。薄明るくなってきたので地図と照らし合わせると、やはりCPの丁度裏側にいることが判ったのですぐ取れた。

さあ、まだここからも長い。漕ぎ下るも、徐々に太陽が出てきて暖かくなるが眠気にも襲われた。それでも最初のトランジションを脇に眺め、流れに乗って9時前にはCPに着いた。暑い。ここから49km、ナビが難しいという本気のトレッキングだ。
2時間ほどで出発。濡れていた服は干しておいたので乾いた。毎回トランジションでは真っ先に乾いた服に着替えて作業をしていた。できればシャワーも浴びたいところだ。ここでも取材を受けた。川には五日前乗ってきた軍艦パラグアッソ号が停泊していた。

11時頃出発。しばらく牧草地帯を行く。湿地の中に歩ける通路のようなところがあり、ところどころ水たまりのようになっている。強烈に暑い。時々休憩を入れる。2時間ほどで川べりに着いた。高低差がないと川が流れず、淀んだ水しか得られないと思っていたが、湿原の中にも流れる川があって水がちゃんと取れそうだった。よっちゃんとジェームズに会う。徐々にパンタナル核心部というところに着た。湿原の中の水路のようなところを伝っていくと良いようである。延々と歩く。


レファレンスポイントのイッピランガまでは約24km程度。11時に出発したので暗くなる頃には着くだろうと、そして今回はそこで寝ようと話していた。あるいはその先のサンミゲル。サンミゲルには数件の家と飛行場が書かれていた。この辺りの足は飛行機である。そして各地名は集落かと思っていると、せいぜいあるのは一軒の家と家畜小屋程度であるなんだか50年前から変わっていないような風景である。

暗くなる頃イッピランガに着いたと見込める場所にいたので必死に探すが、見当たらない。又このパターンか。。そう思い、あっさり9時前に眠ることにした。幸い蚊はそんなに多くなかったのでぐっすり眠った。ただ、さすがにレース中の緊張感からか何度か起きて、トイレに行ったりもした。

パンタナル・レース4日目

眠くて、深夜涼しい稜線上で一時間ほど眠った。田中さんは進みたそうだったが身体が持たない。23時から24時過ぎまで寝たので、再び歩き始める。またヨガスラッカーに会った。眠い。道もないが、歩みを続ける。一つ、ピークからの下りでどこにいるか現在地が全く判らなくなってしまったので明るくなるまで様子を見ることにした。アルファ米を食べる。沢で水を汲んだときに一緒に作っておいて良かった。水筒の水は残り少ない。

1時間ほどで起きると、あっさり通ってきた方向に進むべきラインが見えた。なんてことか。反対側に向かうところだった。朝焼けの中を進む。900m超えの今回最高峰が近づいてくる。



後ろには歩いてきた道なき山脈。そして地平線までのブラジルの大地。


3時間ほどで到着か。今回はずっと快晴。水は貴重だが、歩きやすくて助かった。カロリーが足りず、剥き栗を食べる。今回気づいたが、レトルトのような水分を多く含んだ食品の方が大分食べやすい。逆に乾燥したナッツや柿ピーなどはほとんどレース中食べれなかった。栗は湿気があって若干楽だった。


山頂には今回のレースで通過した選手が積んでいったであろう、石が重なっていた。
人里離れた山脈のピーク。ここに登る人は少ないだろう。

そこから岩場を下り、しばらく平坦な広場に出る、と思いきや細かいアップダウンがあって降りて見るとメンバーが見えなくなったり以外と歩きにくかった。しかし水は潤沢にあって助かった。沢に水が流れており昨日の分から不足していたのでたっぷり飲んだ。


ここから、一つ違う尾根のピークにCPがある。降りて登るだけだがなかなか強烈な斜面だった。


ピークに近づいたところで、ハニさんが熱中症でがくんとペースが落ちた。CPをみつけ、多少休む。ぐったりである。伸びて風を浴びる。ここから降りて、川沿いに下ってあるくと8kmでCP、トランジションである。場所が山頂からはっきりと確認することができた。


また凄い斜面を下っていくところで、TV局の人の姿が一つ違う尾根で確認できた。尾根を間違えたか? と思うが地図からは正解と読み取れたのでそのまま進む。伝っていく沢に降りたのでそこから2kmほどで地図上の道と川が合流するところに出た。久しぶりに見るきれいな小川。何はともあれハニさんの全身を浸ける。


私も靴を脱いで全身を浸した。足の汚れを魚がつついてくれる。身体も冷やして気持ちいい。木には熱帯の鳥がとまっている。自然に抱かれているとはこのことかと、レース中もっとも気持ちのいい瞬間だった。


さて、地図ではここから道に入ることになっている。ほぼ川と並走しているが、川の方が遠回りとなる。道らしいところに目星を付けて探していくが、どうもどこも途中で薮に消える。無い。どこまでもエグいレースである。丁度ここは時間をかけてでも川を伝えば道に出ることが確実だったので、川を下っていくことにした。


最初は綺麗だった小川はだんだん流れが淀んできた。ただし前を行くチームの足跡が少なくとも一チーム分はあったので心強かった。降りていきながらも、本当はもう少し探したら道があったのではないか、と思うこともあったが、田中さんは「いや、絶対に道はなかった。この川が唯一安全にCPへ連れて行ってくれる」と言い切って川を下り続けた。かなり深く、胸元まで浸かることもあって逆に足に負担は少なかった。前に出て引っ張っていくことができた。


丁度2時間で道路と交差するところに出る。橋があるかと思っていたら見事に川底にタイヤの跡があるだけの場所だった。何はともあれ、CPまでもう少しのところに出てきて安心である。ハニさんは大分ぐったりしていたが、マチマチは元気で二人で歩いていった。
CPではカヤックに乗り換える。久しぶりの人里である。コミーダ(ブラジルの定食)を出してくれてとても美味しかった。人間の食事は大事だ。マッサージをしてくれる人もいた。暗くなる頃65kmのカヤックをスタート。川の流れに沿っていくのであり難い。最初のところで時速を測ると8kmは出ていた。


しかし、だんだん眠くなる。半分眠っていた。方向感覚も判らない。下手したら違うルートに流されたり、湾のようなところへ入り込んでしまう。

パンタナル・レース3日目

昨晩散々な目にあって7時前に到着したので13時に出発することにして、それぞれガーニーグーを塗ったり食事をしたりする。
濃縮還元ジュースを買った。何だかいつも喉が渇いていた。昨日パックラフトで同じような一にいたヨガスラッカーは私たちより遅れての到着。彼らも何かあったのだろう。そして9時過ぎに出て行った。元気な人たちだ。


13時。ものすごい暑さ。最初は7km程度の林道であることが助けだ。巨大なトカゲが走っていった。リクガメが枯れた川底にいた。牧場には牛がたくさんいた。みんな馬のように痩せ細っていた。何なんだここは。南米の自然は豊かなように見えて生き物には非常に厳しい。水は限られたところでしか取れないし、あわよくば血を吸おうとおびただしい数の虫が襲ってくる。毒性の食べ物も大量にある。

農場の隅から山に入り、700mほどの割と高い山に登ることになっていた。ここから40kmほど山脈を行く。平らなパンタナルで恐らく唯一の山脈だ。少しもどって沢を伝って登っていくことにした。どうも三つほど沢をトラバースして回り込むように推奨ルートが書かれていたが、そのまま標高を上げ直登すると植生も良くなり、CPへも近そうだったので標高を上げていく。


ゆっくりしたペースでないと息が切れる。なんせ暑くて辛い。そして食べ物が喉を通らない。今回、不思議なほど食べ物を食べなかった。ほとんどジェルしか身体が受けつけなかった。CPで休んでいるときに何とかアロファ米にレトルトのカレーをかけたのものを押し込むという日々だった。恐らく、一日一袋のアルファ米と数個のジェル程度で過ごしたのではないかと思う。最後のトレッキングとMTBでは身体が持たなくなり、クラッカーを身体に押し込んだ。


直登ルートは正解だったようで大きな問題なく標高を上げ、涼しくなってきた。背後には湖や草原がよく見えた。素晴らしい景色だが、実際中を歩いてみると恐怖の方が大きかった。CPは人がいてわりとすんなりと見つかった。水が涌いていた。とても綺麗だった。日が暮れかける。ルートは山の稜線を遥か先まで通っている。


ヨガスラッカーとブラジルチームと並走して縦走を開始。ヘッドライトを点けて深夜の縦走を始める。

パンタナル・レース2日目

先ほどの山の頂上に着くまでに零時を超え、二日目に入る。山頂にはアンテナが立っていた。そこからは藪漕ぎで下山。道はない。

(明るくなってくると気分も晴れる)

パンタナルの藪漕ぎはニュージーランドとかその他の土地ほどではないよ、とのレースオーガナイザー・シュビのコメントが事前にあったが、薮は薮だった。そして水がなくなっていたが、ギリギリのところで沢を発見。助かった。

(このセクションではパドルとライフジャケットを持ち運ぶ必要があった。これは地味に手間)


200m程度の高低差で、下山タイムを大幅に見誤っていた。このとき下山にかかった時間は3時間。何れにしても徐々に明るくなっていたのでトランジションではNHKの人がインタビューをしていた。


次はパックラフトを膨らませて出発。しかしすぐ一艇の膨らみがおかしいことに気づき戻る。バルブの締めが緩かった。パンクではなくて良かった。湾を回り込み、水路に入るもポーテージしようとしていたところは軍によって止められているようで手間取ったりして、イマイチ進みが悪い。


そしてハニさんとマチマチが眠気に教われ、悪い流れになりつつあったので活を入れて流れを変え、2艇を繋げて進む。時間はかかったものの水路を抜けてボリビア国境との湖に出ると向かい風が凄かった。苦しい流れだが、進んでいることは分かっていたので漕ぎ続ける。ギアジャンキーとは良く前後していた。岬の突端にあるレファレンスポイントでパックラフトを収納し、見えていた山に登り始める。

(ボリビア・ブラジル国境のマンディオレ湖。後ろに来ているチームはヨガスラッカー、左端に見えている山のピークがCP)


朝の経験から、500mの山と言えど手強そうだった。遠回りの形ななるが尾根沿いの植生が良いとこから登りだす。ただし薮はあった。かなり手足が絡まった。そして蚊も凄かった。マチェットが必携装備なのがよく分かる。これは重くても必携である。ピークを2、3越え、3時間ほどでCPに到着。人がいて、もう一チームに追いついた。丁度彼らも降りるところだったので着いていく。


ちょっと登りからペースが早すぎた。そして手間を省くためライフジャケットも着ていた。そして今回はパドルも手に持っていた。そしてマチマチが倒れた。一緒にいたピークパフォーマンスが去っていく。マチマチにリプレニッシュを飲ませて扇ぐ。結構大変だ。残りの水も少ない。しばらく休んで回復した後、下山道を探す。踏み跡らしきものを追っていくと、先ほどのピークパフォーマンスが「Japanese, here is drinking water!」と飲み水の場所を教えてくれた。助かった。


しかしそこから更に現在地も下山道も分からなくなった。標高は370m、降りるべき場所の高さは140m程度。地図を見ると、多少トラバースしていくと下山道に当たるような形になっている。右往左往するも道が全く分からなくなってしまったので、田中さん先頭に斜面の方角が変わるまでトラバースを続けることにした。23時頃。この夜は2日目の夜だったので寝不足も響いてきていた。トラバースを続けながら斜面の様子を見る。沢は崖のようになっていた。木に掴まり、移動を続ける。


どうしてこんな大変なことをしているのか。途中、多少トレイルっぽいところもあったが見送りそのまま行く。しかし本当に降りるトレイルには当たりそうもない。意を決して沢から下ることにした。私が先頭で下っていった。崖のようなところを降りると、少しずつ標高が落ちてくる。それが励みになった。途中から徐々にスムーズになり、薮をこぐ場面もあったが通路のようになっているところまで降りてきた。そのまましばらく進めそうだった。そしてカメラマンのよっちゃんにあった。それも嬉しかった。


レースは簡単でない。ここから更に6時間かかるとはそのとき誰も思っていなかっただろう。適当な標高まで降りてきてから、場所が分からない。だいたい東に進めば目的とするトレイルが存在し、そこを伝っていくとCPがあるのは分かっていたが薮が濃かった。そして北に進めば湖があり、レファレンスになるということであちこち道を探した。そしていつの間にかここまできた川の道も判らなくなっていた。だんだん焦りも出てきて、田中さんは南北を間違え、私は半ば諦め、蚊にはたかられるし散々な展開になってきた。よっちゃんはしっかりカメラを回していた。


「最悪の夜」というのはコスタリカで標高4000mのチリポ山から下山に一晩かかったときに経験したと思っていたが、あの体験を上回るのがブラジルであるとは思わなかった。それほど絶望的な夜だった。周りは暗く、少し移動するとどこへ向かってきたのか、どこへいたのか判らなくなる。途中からは男三人が方角を決め、道を探しにいくことにした。その際レファレンスポイントがすぐ判らなくなるので、マチマチには待っていてもらった。待つ方も大変である。少し停まれば蚊の大群が押し寄せてくる。レインウェアと防虫ネットである程度防げても、羽音を聞くだけで相当なストレスであることは間違いない。八方ふさがりとなった。情けない。
いかにも出口が見つからないとなったところで、午前4時頃、とにかく道がありそうな東に直進することにする。決めてしまえば時間にして約20分で林道に出た。徐々に明るくなってきた。ここにも蚊が大量にいた。そして歩いていても刺してきた。不快指数がマックスで、早くCPでシャワーを浴びたかった。明るくなり、CPに到着(レースは三日目)。散々な目にあった。冷水シャワーを浴びて服を着替える。田中さんも今回大分やられており、マチマチも相当休まないと体力、気力ともに回復しないことが判っていたので6時間ほど休むことにした。私も休もうとしてマットに転がるが、気が張っていたのかなかなか眠れず、しかも暑かった。さらにここまで蚊もいた。

パンタナル・レーススタート

朝起きると既に明るく、村に着いていた。まずは地元の子供と村を一周する。


本当に回りに何もない。どうやって子供達が通うかというと、恐らく川の船だろう。セスナの飛行場もあったかも。学校の敷地は開けていてプールもあり、粘土細工の作品や広場があって環境が良かった。本をプレゼントして焼き肉やポンデケージョ(チーズパン)、フルーツなどを食べスタートに備える。学校に通う子供達は家までの距離があるため、2週間泊まり込みで勉強し、2週間は家に帰って牧畜等の手伝いを
するそうだ。


ニューハレを張る。


レーススタートは十三時。五分ほど前から川に入ってスタートに備える。カヤックのシートがコルンバにあるということで手に入らなかったが問題ではないだろう。


スタートして先頭からは徐々に離れていくが、自分たちのペースでパラグアイ川を漕ぎ上がる。ハニさんと組むタンデム。


約三分の一が本流を漕ぎ上がり、少しのあいだ水路、その後湖のような場所に出て半分ほどを漕ぎ、23時頃トランジションへ到着。靴は防水袋の中に入れてあったので乾いたまま足を入れ、27kmのトレッキングへ。蚊がいる。一本の林道を歩いていき、CPについた。コーヒーやフェイジョアーダ(マメと肉の煮込み料理)などの食事があったのでたくさん食べることができたが、あまり腹も減っていなかったのでスイカだけ食べて出発。コーヒーも美味しかった。そういえばここまであまり何も食べていなかった。スタートダッシュで手が空かなかったのもある。


先ほどのCPから牧場の中を伝って登山口へ。標高はさほどでもない300mくらいの山に登る。登山道はついていた。そして標高が上がるにつれ蚊がいなくなり、涼しい風が吹くようになった。

パンタナル・レース前日

いよいよ大会前日となった。午後3時に地図が配られ、ブリーフィング。


そして18時には軍の船に乗って翌朝着くパンタナル内の川縁の小学校へ移動。


船の中は4段ベッドのものすごい狭さだった。地図を読み込んで、カットしてマップケースに入れ、アルファ米を食べて早々に寝る。

クーラーが効いていたが暑くなったり寒くなったりで良く眠れず。とは言えスタートしてからは眠れないので必死に休もうとする。

アドベンチャーレース世界選手権への出発

学生時代から数えると、チームイーストウィンドで五回目の海外遠征となった。


初めて参加したのが2007年に行われた中国のマルチスポーツレース「ウーロンマウンテンクエスト」、そして2008年のアドベンチャーレース世界選手権「ポルトガルエクスペディションレース」、2013年の「パタゴニアエクスペディションレース」、同年の世界選手権「コスタリカアドベンチャーレース」、そして今回はブラジル内陸部・パンタナルの湿原を舞台に開催される世界選手権である。世界中で10未満の大型レース(アドベンチャーレース・ワールドシリーズ)が毎年開催されており、その中で距離や種目構成など一定の条件を満たした年末のレースが、その年の世界最強を決める世界選手権(アドベンチャーレース・ワールドチャンピオンシップ)として認識されている。


今回の出場は前回までの4つのレースを一緒に組んだ田中正人キャプテン、田中陽希さんのコンビではなく、趣味でアウトドアスポーツに取り組む会社員の高濱さんに、初めての海外レースとなる女性メンバーの西井真知子さんとチームを組んだ。4人中2人が初めての海外・長期レースとなる。


出場ギリギリまで多忙を極めて体調を崩したり、家族や職場にしわ寄せが行ってしまったり、迷惑をかけた人のことを考えると心が苦しい。思い返すと学生時代はもちろん、結婚しても子どもが生まれる前までは一週間のカヤック合宿などにも余裕で取り組むことができた。


とは言っても、できない理由を考えるのが私の仕事ではなく、今まで様々な人に支えられて多くのレースで経験を積むことができたことに感謝し、日本を代表するチームとしての活躍を牽引するのが私の努めであると思う。パタゴニアでのレースはメンバー揃ってコースを完走し、準優勝という結果を残すことができたが、ポルトガルコスタリカではどちらも女性メンバーの怪我があったり、実力不足で納得のいくレースはできなかった。経由地のアブダビで乗り継ぎ待ちであるが、たった今チームの目標は「完走及びトップ10」と決まった。今回のブラジルでのレースは後にテレビで放映される。子供達に将来「親父はこんなことやっていたのか!」と思う日が来ることを信じて頑張りたい。