地元への投資

どういうきっかけかは忘れたが学生時代から「本当に自由になるには経済的に自立する必要がある」と思っていた。働くことでしか得られないものもあるが、必ずどこかで妥協する部分が出てくる。起きている時間の大部分を働くのだから、それは残念である。


そこで、私は会社から貰う給料以外に収入の柱を作るため、給料の一部を株と為替に投資していた。特に金融の仕事を始めてからは色々な知識や経験も増えたので、デリバティブやオプションなど投資対象も広がった。驚くほど成功したかというとそうでもないが、働きだした2009年の春は「100年に一度の金融危機」と言われており、まさに恐慌の最中であった。何の知識も資金もなかった当時から、何度も失敗を重ねながら金融危機からの回復と、アベノミクス等の金融緩和といった大きな流れを刈り取った。内定切り、工場の閉鎖等のニュースが紙面を賑わし、「金融の終わり」等と言われていた最中に投資を始めるのは不安もあったが、自分で考えた上で判断を下し、リターンを取りにいく過程での学びは大きかった。今となって思えば、当時の全財産などは吹けば飛ぶようなものだったので、正しい戦略だったのだろう。


投資を続けて規模も大きくなったこと、仕事でも経験を積んで自分で事業を回したくなったので、今年は税務署へ開業届を提出し、不動産賃貸業を始めた。不動産を購入するのは初めてだったが、スタートして一気に事業規模まで拡大した。クリック一つで取引できる株や為替と違って、不動産は金融機関、司法書士、不動産業者、リフォームの職人、それから賃借人など様々な人が介在する一つの事業である。そして事業をやるのであれば、故郷である岡山県でやりたい。と考えて実家からも近い場所に決めた。


将来的は岡山に戻るだろう。海外や東京で培った稼ぐ力を、こうして地元でも活かすことができたら嬉しい。

(写真は本州と四国をつなぐしまなみ海道)

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子育てと近況

毎年夏には必ず日本アルプスに登ったり、縦走登山をして自然を満喫していたが、今年は同僚を連れて行った富士山だけだった。



イーストウィンドの合宿や学生時代のテニス部の合宿で何度も通った富士山エリアだが、山頂まで登るのは初めて)


そしてひらすら子供の世話をしていた。もうすぐ2歳を向かえる息子は外で遊ぶのが大好きで、暇があれば外に出て公園を走り回ったり、車や電車を眺めたいと主張する。ちなみにわざわざバスに乗ったりもする。「乗るために乗る」。そして窓から外を流れる車を眺めている。その中でもパトカーや消防車等、働く自動車は大好きである。どういう働きをしているか分からないだろうに、不思議なものである。


ここ最近は野菜への食いつきが悪くなったので、朝は野菜、アボカド、バナナや蜂蜜を入れたスムージーを作ってパンを焼き(パン焼き機)、事情もあって来週からは保育園に通うことにした。朝は私が送ることになる。基本的に8時半から17時までが保育時間だが、さすがに毎日遅刻する訳にも行かないので朝は延長保育を使って8時から預けることにした。ついに集団生活デビューである。お迎えは初日は妻の実家にお願いすることにしたが、翌日からは私が対策を考えなければいけない。ブラジル・パンタナルでの世界選手権が近づいているが、少なくとも通勤でランニングのトレーニングを積むことはこの先一ヶ月難しそうである。毎日家事もやるようになって、改めて主婦の妻にどれだけ助けられていたか分かった。料理は究極のマルチタスク作業だと思う。


それでも、毎日子供の相手が出来るのは幸せである。一日中相手をしていると、昨日まで出てこなかった言葉を話せるようになった、新しい遊びを覚えた等の違いがよく分かる。初めて話した単語は、「アンパンマン」、最近の流行は「にんじんさん」である。「好き」「痛い」等の感情も表すようになった。「工事、ねんね(公園のブランコが工事中で、作業が一時中断しているとき)」など微妙に意味が通じるような話もするように。


私自身は理解のある妻のおかげでこれまで勝手にトレーニングをして、自由を謳歌していれば良かったのが、子供はそうはいかない。逆にこれまで社会からも、家庭でもどういうサポートを受けて育てられてきたのか実感するようになった。




サロマ湖ウルトラマラソン

去年のロンドンでの100kmマラソン優勝に味を占めていたのと、友人に誘われたのもあって北海道のサロマ湖畔で開催される100kmのウルトラマラソンに出場してきた。


結果は惨敗である。最後の20kmはほとんど歩いてしまい、トレイルと舗装路の違い、自分の未熟さを学ぶことができた。10km毎のラップは下記の通り。特に60km以降のペースダウンが著しい。

10k 0:45:05
20k 0:42:58
30k 0:42:45
40k 0:45:05
50k 0:47:36
60k 0:56:27
70k 1:05:23
80k 1:25:10
90k 1:41:01
100k 1:55:01
Finish 10:46:31


フルマラソンのラップはロンドンの時とほぼ一緒(3時間7分)だったのでゴールのタイムも当時とほぼ変わらないのではないかと目論んでいたのだが、今回は後半にさっぱり足が動かなくなってしまった。トレイルは路面が柔らかく変化もあるが、ロードの場合は一定の負荷がレース中ずっと続く。フルマラソンであればともかく、100kmは負担が大きすぎた。せっかく友人には休日のトレーニングに付き合ってもらい、家族にも負担をかけて北海道まで行ってきたのだがほろ苦い思い出となった。

休暇の取り方

今年も海外レースへの出場が決まりました。ブラジルのパンタナルで開催されるアドベンチャーレース世界選手権です。イーストウィンドの主力メンバーである陽希さんの不在、海外レース初経験の新しいメンバー二人を加えての参戦となりますが、完璧なタイミングは存在しません。私自身は過去いくつかのレースで経験を積ませていただいた者として、チームを牽引する働きをしたいと思います。


今回は出場に伴う休暇の取り方について書いてみたいと思います。三年間で三度目の大型レースへの出場。一度に最低でも2〜3週間は休暇を貰う必要があるので、家族や会社に話す時はそれなりに気を使いました。私の場合は幸いにも大きな問題なく休暇とレースへの出場を認めて頂いてきましたが、長期休暇の取得が一般的になることを祈って今まで実践してきたコツを書いておこうと思います。



まず一番大事なのは、社内で信用を得ることです。私の場合外資系企業の営業部門なので金額ベースの目標がありますが、自分の働きによって会社に利益をもたらしていれば割と自由が利きます。これは狙っていたというより自然とそうなっていたのですが、教員免許を取って取って先生をしていたり、就職活動を頑張って大企業に勤めていたら難しかったかもしれません。教え子を置いて数週間海外レースというわけにはいかないでしょうし、大企業の歯車として働く中、空気を読まずに一人だけ自由に振る舞うのはちょっと難しいような気がします。もちろんそれぞれの組織の中にも、営業があったり人事があったり様々な仕事がありますが、やはり数字で評価される営業部門の方が勝手が効くのではないかと思います。私の場合は今年最初の四半期に目標の倍近くを達成したタイミングで、上司に話を持ちかけました。もちろん最初の四半期に結果を出すために、昨年秋から必死に仕込んでいました。要領がいいやつだなと思われそうですが、そこまで甘いものではありません。


次に覚悟を決めることです。数週間の休暇という貴重な経験を使って自分が何を成し遂げたいのか突き詰めると、覚悟が決まります。場合によっては職場では顰蹙を買って、もしかしたら家族にも寂しい思いをさせて、親には心配をかけてという場面があるかもしれませんが、そこまでしてやりたいことに取り組んでいるというのはある意味誇りに思っていいのではないかと思います。例えば私には小さい子供がいますが、今私が家を離れることを理解していなくても数年後に映像に残った姿を見て、感動を覚える瞬間がくれるかもしれません。


ひとつ注意すべき点としては、普通それだけの休みを取ってしまっても、恐らく暇で仕方が無いということです。それほど人は仕事等を通じて責任を任され、周囲との繋がりで生活しているものだと思います。私も学生の頃は、仕事を通じてこれほど多くの機会と報酬を得るとは思っていませんでした。一般的に会社に勤めていたら一年間の休暇は15日から20日前後でしょうし、フルに使えば一月弱は休めます。まとめて使ってしまった際の感想は、「長すぎる」というものでした。



何事にも共通することかもしれませんが、利害関係をきちんと見極めて、謙虚に相手に納得してもらうことが非常に大事だと思います。オリンピックアスリートでも、ノーベル賞級の人でも、それだけでは生きていけません。大多数の人は周りに頼って生活している訳で、巷に溢れるインターネットの情報や自己啓発本のように「やりたいことをやる」ために我を通そうとするのは、世界が狭まるのではないかと思います。

トレーニングの振り返り(結婚1500日)

今週末は母の日。そして、結婚と同時に走り出して1500日目を迎えました。


結婚のタイミングで職場から至近距離にあった港区虎ノ門のマンションから、当時小学校で教員をしていた妻の職場との中間地点にある豊島区のアパートに引越し、通勤ランから本格的に走り出しました。それまでは学生の頃から独身時代にかけて主に自転車に凝っていたり、トレイルランに参加したりしていたのですが、結婚して3ヶ月目にロードバイクが盗難に遭ったこともあってそれ以降はランニングに専念することになりました。


アウトドア全般、マウンテンバイクからカヤック、ランニングでもロードバイクでも持久系の競技は何でも好きなので、どうしてもランニングをしたかったという訳ではありませんが、子供を授かると同時に妻があっさり退職し、さて次の住まいをどうするか考えたときには既に走って通勤できる距離、というのが一つの目安になったのは事実です。


こうして当時から付け始めていた毎日のトレーニングの記録(エクセルシート)が1500日を迎えました。振り返ってみると、累積走行距離は約20500km。月ごとの走行距離は下のグラフの通りです。モチベーションが高く、走れば走るほど実力が伸びた2011年後半から12年、13年のパタゴニアコスタリカでの大型レース直後の落ち込み、14年はサンティアゴ巡礼時に達成した800kmや、10月のロンドン後の不調(赤い丸)など、一つ一つの経験が如実に現れており感慨深いものがあります。偉そうに月500km位走らなきゃとかいっておきながら客観的事実を見るとそこまで走れてないような恥ずかしさも。感覚的には600kmを超える位で身体もモチベーションもいい状態で、通勤と空いている時間はほとんど走っているようなイメージでした(緑の部分)。この位になると数日体調を崩すだけで達成は難しい一方、やりすぎても故障するということで、謙虚さや柔軟さが大切になってくるのかもしれません。


一日あたりの距離を見ると、レースで100kmを超えた信越五岳や、去年のロンドンでのThames Path Challenge、Oxfam(赤い丸)を筆頭に、海外での大型レースや日本アルプスの縦走などが続き、10km - 20km強の大部分を占めるところ(緑の部分)は通勤ランです。

ゴールデンウィークを振り返る

前に書いた通り、今回の連休は走り込みに費やしました。5連休で駒沢の外に出たことは一度、それもバスで同じ世田谷内の馬事公苑に遊びに行っただけでしたが、これほど充実しつつ、家族に無理のない連休は今までなかったかもしれません。


1日目、2日目、4日目、そして5日目の今日は全て朝7時半に友人と駒沢公園に集合。10周(約21.4km)をキロ4分15秒(フルマラソンで丁度サブスリー)程度のペース走で消化し、10分程度の休憩を挟んで5周(約10.7km)流すというメニューで10時頃トレーニングを終え、ストレッチを終えて家でシャワーを浴びて休んでもらい、その後は昼飯を一緒に食べに行ったり公園でピクニックをしてきました。午後は息子の昼寝から公園を散策し、買い物に行ったり本を読んだりする毎日でした。


3日目のみ、休息日を兼ねて馬事公苑に行って馬を見てきました。


憧れの消防車!


我が家で一番小さいながらも大きな存在感を放つ息子は1才8ヶ月を迎え、顔立ちもはっきりしてきました。



久しぶりに追い込みましたが、反復練習を行うと身体の変化が如実に現れるものです。例えば最初のペース走は日が経つに連れてだいぶ楽に感じましたが、気を抜くとキロ辺り数秒単位で遅れるので、やはり疲労は蓄積されているようです。また、後半の5周流す中で、図ったように同じ場所でエネルギー切れを感じていたので、最終日は休憩の間で朝多めに作っておいたオートミールを補給しました。毎日一緒に走ってくれた友人は腕時計の確認の動きに無駄を感じ、手首の内側(脈を測る部分)に表示を動かして走るようにしていました。



こういった走り込みをするとどちらかの調子が悪くなったり、天気が荒れたり、何らかの事情で当初の予定を消化しきれない場合が多いのですが今回は全てを終えることができました。地味ですが、こういったところがレースの結果に繋がるものだと思います。

ゴールデンウィーク2015

今年のゴールデンウィーク駒沢公園で走り込むことにしました。3月まで仕事が忙しく、先週沖縄で羽を伸ばしたのは良かったのですが家族の体調や自分の調子を考えると、どうもこのままでは6月のサロマ湖ウルトラマラソンで100kmもの距離を良い形で走りきる自信がありません。


通勤でなるべく走ること、休日も最低限走れるようにはしていると思っていたのですが、今年に入ってからの実績は下記の通りです。
1月465km
2月312km
3月397km
4月370km

息子の朝ご飯をあげていたら電車で通勤せざるを得なかったり、仕事が溜まっていてヘトヘトになっていたりそれぞれの事情はありますが、本気で走っていた頃の6−7割しか走り込めておらず、今日は久しぶりに駒沢公園で友人と30km走を行ったら感覚としては1、2周(駒沢公園は1周2km強)多いんじゃないかと思う位疲れてしまって危機感を覚えました。


ただし、この状態から6月の大会まで2ヶ月の取り組みを考えると、やりがいは大きそうな感じがします。去年9月にロンドンで初めて100kmのマラソン(牧場の中を走ったり、階段もあったので厳密にはトレイルとのミックスでしたが)を走って優勝した時の記録が8時間50分。今回は全てロード、周りの選手の層も厚そうなので、ハードルを下げる訳にはいきません。残り2ヶ月。